僕のファミリーヒストリー『大正〜昭和編』 # 武士は食わねど高楊枝。

 

大学生活の夏休みを謳歌すべく本家がある福岡に帰省しました。

久しぶりに本家に顔を出すと、75歳になる僕のおばあちゃんが何枚か古写真を見せてくれてたのですが

色々な想いが溢れてきましたので、まとまりのないまま記事を書こうと思いました。

 

今回の記事は何か紹介するものではなく、自分の振り返り用に作成した記事です。自分への戒めとして、ご先祖様に恥じない生き方をするための道標として作成しましたので、暖かく記事をご覧いただけますと嬉しいです。

 

今回の記事は、以下リンクの「ワスレナグサ」というフリーBGMを聴きながら作業していました。本当に今回の記事に合うBGMなので、ぜひ一緒に聴いてみて下さい。

作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有…

 

 



 


 

おばあちゃんの叔父にあたる、山口 武男さん。享年23歳、今の僕と同い年です。旧日本陸軍の少尉で、数多の戦闘に参加しました。当時は満州と呼ばれていた中国山岳地帯で先頭に立ち、部隊に向かって「前へ!!」と命令した瞬間に狙撃されたと聞いています。

 

20代前半で士官になれたのは陸軍士官学校をご卒業されたのか、もしくは現場でご活躍されたのか不明ですが、いずれにせよとても優秀な方だったのだろうなと予想できます。

 

そんな武男さんが家族に宛てて送った手紙がありました。手紙の差し出し人である武男さんが駐屯していた住所には竜江省の文字。竜江省(りゅうこう-しょう)とは、満州国にかつてあった省(大日本帝国の領土で現在の「県」にあたる区分)です。

 

字が達筆で現代人の私には全て読むことはできませんが、現代語に意訳すると以下のような文章になりそうです。

 

「姉上様、隆兄さんの御召(戦争への召集)の報に接し、一門(家)の名誉として喜びます。
将来のご健康を祈ります。よろしくお願いします。 武男」

 

武男さんの山口家は8人兄弟で、うち3人が出征されました。1人目は手紙の送り主である山口 武男(たけお)さん、2人目は手紙に出てきた山口 隆(たかし)さんで、武男さんのお兄さんです。隆さんは飛行機のパイロットになり、レイテ沖で戦死されたそうです。

 

そしてもう1人は、山口家の長男である山口 博(ひろし)さん。博さんの娘が僕のおばあちゃんになりますので、僕のひいお爺さんになります。そんな博さんに関わる品が本家に残っていました。

 

支那事変に従軍した証の賞状も本家に残されていました。支那事変は日中戦争の日本側の呼び名だそうで、ひいお爺さんが日中戦争に参加していたこともこの時に初めて知りました。

 

続いておばあちゃんが取り出してくれたものはスマホサイズに折り畳まれたもの。

 

広げてみると、日本国旗になりました。旗の右上には「山口 博君」とありますので、出征で見送りする際に家族が振っていた旗のようです。

 



 


 

武男さんのお手紙と同様に達筆で宛先をほとんど読むことができませんが、左側には軍事郵便と印刷されています。

 

差し出し人はかろうじて「山口 博」さんだとわかりましたが、本文を含めほとんど読むことができませんでした。検閲もあった厳しい時代でも家族との貴重なコミュニケーションの機会だったのではないかと思います。

 

また、僕のおばあちゃんが産まれていることから、博さんは戦死することなく無事に帰ってきたのだと思っていましたが、敵の弾を受けて負傷してしまい、日本に戻ってきたとのことです。

 

 

戦後は写真のように、良い生地のスーツを着こなすなど、おしゃれな方として有名だったそうです。

 


 

これは大正時代の終わりに撮られたとされる家族写真です。写真の破損が激しいですが、写真右奥の男性が山口スガさんの夫である山口 福さん。そして二列目中央にいる学生帽を被った少年が戦死された「山口 武男」さんです。

 

 

こちらの写真。年配の女性に混ざってひとり、学生に見える若い女性が写っていますが、彼女が僕のおばあちゃんです。中央にいる女性が山口スガさん。山口博さんや武男さんのお母さんで、僕のおばあちゃんのおばあちゃんに当たります。

 

幼少期に、おばあちゃんに「いつか死ぬことは怖くないのか」と何気なく尋ねてみたことがありますが、おばあちゃんは「そんなに怖くないよ、だってみんなが待ってるから」と言っていた意味が少しだけ分かった気がしました。

 


 

一家で特に大切にしていた言葉が「武士は食わねど高楊枝」だそうです。武士が貧しい境遇にあってお腹がすいていても、まるでお腹がいっぱいのように楊枝を高々とくわえて見せておかなければいけない、といった武士の清貧や高潔さを表しており、見栄を張るというマイナスなイメージではなく「自分がいかに苦しくても常に笑顔で余裕な姿を見せ、周りの人を助けなさい。迷った時は綺麗な生き方をしなさい」という教えが、一家の誇りとして重要であると教えられてきました。

 

僕もご先祖様には遠く及びませんが、人のために生きること、自分が苦しくても笑顔で過ごす姿を見せる性格は私にも受け継がれているみたいです。

 

川棚町にある不思議なお店あんでるせんのマスターにも、先日訪れた北海道・留萌市のスナックのママにも言われた「あなたには人を癒す力がある」という言葉を自信に変えて、これからも精進していこうと思います。

 


 

今回の長期帰省で、激動の時代を走り抜け、日本の未来を想って戦ったご先祖様に初めてお会いすることができました。

 

目の前の1人には、無数の人の愛やご縁で繋がっています。今回ご紹介した僕のファミリーヒストリーは全体のひとカケラで、もっと複雑な繋がりで結ばれているはずです。今ある手がかりだけでは真実に辿りつけないかもしれませんが、皆さんもご自身のルーツのカケラを探してみてはいかがでしょうか。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

 



 

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