【自己紹介】瓜生信汰朗について

 

こんにちは。いつも『ながさきログ』をご覧いただきありがとうございます!

 

元々、長崎の好きなところを適当にピックアップして紹介することで、僕の知っている人だけが見るメディアくらいでいいなと思っていたのですが、読者のみなさんがどんどん『ながさきログ』を紹介していただくことで、おかげさまでもっとたくさんの方に知っていただけるブログになりました。

 

そして、僕の知らない方からもお問い合わせやご連絡をいただくことが増え、1回は僕の自己紹介をしておいた方がいいかもしれないと思いましたので、この記事を書くことにしました。

 

ながさきログの紹介はまた別記事で書こうと思いますので、今日のところは僕の自己紹介ができればと思います。

 

今回は結構真面目に書いてしまったので、あまり面白さはないと思いますが・・・。

それでもよければ、ゆっくりしていってね(?)

 

 


瓜生信汰朗の基本情報

 

氏  名:瓜生 信汰朗(うりゅう しんたろう / Uryu Shintaro)
生年月日:1999年11月30日(22歳)
出  身:福岡県 福岡市 早良区 百道(ももち)
身  長:182cm
体  重:80kg
血液型:AB型
利 き 手  :左
学  歴:福岡市立 百道小学校(2006-2012)
     福岡市立 百道中学校(2012-2015)
     福岡県立 水産高等学校(2015-2018)
     国立大学法人 長崎大学 水産学部(2018-現在)
趣  味:バスケットボール(小学生〜高校まで) / まちあるき(どこでもフラフラ歩きます) / 読書 / 旅(国内外問わず。海外はアジア・ヨーロッパを中心に20カ国以上訪れています)

 


瓜生信汰朗の所属・肩書きについて

 

国立大学法人 長崎大学水産学部 海洋生産管理学コース3年
学部の名前の通り、水産分野について大学で勉強をしています。専攻は船の運用方法ですが、水産学一般・海洋ゴミ問題・海洋エネルギー関連・海洋教育分野も得意です。国土の10倍の広さを持つ海の可能性を最大限に発揮して、豊かな未来をつくるための活動を続けています。 

■ 取得免許
普通自動車運転免許 / 一級小型船舶操縦士 / 潜水士 / NAUI スクーバーダイバー / フォークリフト運転免許 / 移動式クレーン運転免許 / アーク溶接 / 玉掛け技能 など。

 

NPO法人まちラボ 理事・事務局長
多様な「暮らしにおける困りごと(地域課題)」を解決するために、専門性を持って活動をする団体や個人が、課題を共有したり、課題の解決のために連携できる場(協働コミュニティ)を作ることで、あらゆる立場の人が幸せを感じながら安心して生活できる地域を作ることを目指す団体(NPO法人)です。
まちラボでは理事・事務局長として、法人の実務的な運営を行なっています。
NPO法人まちラボ

誰もが安心して暮らせるまちを目指して…

 

NAGASAKI TRIBE(ナガサキトライブ) 代表
これまでの業務形態ではお手伝いできなかったデザイン分野でお手伝いするために、2020年に立ち上げた個人事業の屋号です。「トライブ」は「部族」という意味を持ち、長崎を盛り上げる一員として活動していく意味が込められています。
業務内容は「お手伝いできること全般」ですが、特にデザイン・編集・パソコン関係が得意です。
■主な業務内容
ホームページ制作 / 動画・写真撮影・編集 / 記事制作・編集 / チラシ・パンフレットデザイン / 名刺デザイン / オンライン配信 など。 

コミュニティーフォトグラファー / Community Photographer



NPO分野で大変お世話になっている、秋山翔太郎さん(https://tumulucc.jp)が使っていらっしゃる肩書きをいただきました。以下は、秋山師匠のコミュニティーフォトグラファーの紹介文を引用しています。

コミュニティーフォトグラファー
[名]人のいとなみが幾重にも織りなす多様性社会において、躍動や息吹にフォーカスし写真を撮る人。
被写体は活動そのもの。地域や場所、はたまた空間をまたぎ存在するさまざまなコミュニティ。そこでは、単なる物質的な存在だけではなく、何かしらのやりとりが存在しています。コミュニケーションやアクティビティ、そして文化などです。
それはどうやったらとらえられるのでしょうか?私は、まなざしに着目しています。その場にいる人々が何を見ているのか、何を感じているのか、何を伝えようとしているのか、写真にとらえようとするのが私の試みです。

 

 

その他肩書き(市役所の委員など)

・長崎市 長崎伝習所検討会議委員 2020年

・長崎市 清掃審議会委員 2020年〜2022年

・長崎市 市民力推進会委員 2022年~現在

・NOVE大学 瓜生ゼミ 主宰(長崎大学アントレプレナー育成事業)

・ながさきオンライン公民館 クリエイティブ・ディレクター

ながさきオンライン公民館

 

 


瓜生信汰朗の人生履歴書(黒歴史を除く)

 

爆誕〜小学校入学まで

 

 

生まれてすぐの写真(上)と1週間後の写真(下)。僕のことより・・・。あれ?オカンもしかして美人?

 

1999年11月30日、福岡で爆誕。信頼の「信」・常に最善を選ぶというニュアンスで“淘汰”の「汰」・朗らかの「朗」の3つの願いが込められて名付けられました。名前に恥じない生き方をしようと思っていると同時に、名前に“さんずい”が入っていることが海関係にも関わりがあっていい名前だなと思います。小学校入学あたりまで転勤族だったため、横浜-広島-福岡を転々としていました。

 


小学生時代 -福岡市立百道小学校 @2006-2012 

 

 

所属していたミニバスケットボールチーム『百道シューティングスターズ(現在は シューティングスターズ福岡 に改名)』

 

小学校時代は、水泳とバスケットボールに取り組んでいました。特にバスケットボールのチームがとても強く、6年生の時に福岡県代表で全国大会に出場しています。そのためには練習や努力が必要で、厳しい環境に身を置いてバスケットの腕を磨きました。その時に身についたガッツや精神力は、今になって身についていることのありがたさを感じています。

 


中学生時代 -福岡市立百道中学校 @2012-2015 

 

中学時代唯一の写真(画質わるっ)。「今と変わらない」とよく言われます。メガネも変わってないしね・・・

 

中学校時代は、厳しいバスケットの練習から解放されたと同時に厨二病と反抗期が併発してしまい、徐々に不登校になっていきます。自分が何のために生まれてきたのかわからなくなり、必死に自分の生きる理由を探していました。その時に出会ったものがマンガで、当時は学校をサボってBOOK-OFFで名作と言われるマンガを読みふけっていました。この時に得たマンガは、今の管理職クラスの方とが若い頃に流行ったマンガを多く読んでいたため、お話しする際のネタとして十分に機能しています。学校の先生には迷惑をかけましたが、この時の不登校は今の自分に繋がっていると感じています。

しかし、そんな状態で勉学に励めるわけでもなく成績は最底辺。高校に進学できないのでは?と先生に心配されながらも、なんとかご縁があった「水産高校」に進学します。

 


高校生時代 -福岡県立水産高等学校 @2015-2018 

 

 

 

高校時代。元々、寮がある学校という理由だけで受験した水産高校でしたが、寮に入るための基準を満たしておらず、実家から毎日片道2時間かけて通う地獄の日々が始まります。最初は「懲役3年」と思って腐らずに頑張っていましたが、そこで出会った先生方が「海という自然を相手にするのだから、答えは1つではなく無数にある」ということを教えてもらい、いい方向に人生が狂い始めます。生徒会副会長から生徒会長になったり、竹で作った魚礁(ぎょしょう / 魚の住処)を海に投げ入れたり、元々なかったバスケットボール部を作ったり、全校生徒で地域のゴミ拾いをするなど徐々に暴れ始めます。

 

 

最後には、自分をいい方向に変えてくれた先生方への恩返しと、自分のような悩んでいる子供たちを救える存在になりたいと思い、教員を志すようになりました。しかし、大学に行かなければ教員免許を取得することができないと知って、必死で受験勉強に励み、AO入試という特別入試でご縁があった「長崎大学水産学部」へ進学します。

当時は水産高校から大学に進学することが珍しく、新聞の一面に載るなんてことも。

 

 


大学時代 -国立大学法人 長崎大学 水産学部 @2018-現在

 

 

長崎大学の環境系全学サークル「ながさき海援隊」の取り組み。のちに代表を務めました。

大学2年生時、長崎海洋大使に就任。ヨーロッパ各地を視察・研修し、海洋再生可能エネルギーの最先端技術を学ぶ。

 

大学1〜3年生。中学時代の自分からしたら、大学に進学するなんて考えもしませんでしたが何とか大学生になれました。大学の同級生たちは非常に優秀で、よくレポートやテストを手伝ってくれたりとても助かりましたが「社会に出る準備期間である学生時代」と考えると違和感が拭いきれず、徐々に疎遠になっていきます。

そして、水産学を一定のレベルまで学び終えて感じたことが「水産学だけ身につけた人が社会に出てもほとんど役に立たない。魚屋ならば水産と経済の知識、造船の分野では水産と工学の知識の組み合わせ。副専攻の知識を身につけることで初めて水産学は真価を発揮する」ということでした。

 

さらに世界基準で見渡してみると「海の世界は、世界から日本だけが取り残されている」と感じ、日本の未来の水産業が心配です。そのために、高校生時代では「自分が水産の教員になることで未来の水産業の担い手を育成する」ことを目標にしていましたがそんなぬるいスピードでは間に合わず、「1人の先生では足りない。1つの水産学校を作らなければならない」と感じています。現在では、水産・海洋の高等専門学校(国立)を作ることが、自分の人生の目標の1つに据えました。

 

大学の授業の一環で取り組み紹介。発表者の僕も気合十分・・・ってそこ!寝てない!?

長崎市内の小学校でキャリア講演。「好き勝手生きる」大切さを経験を交えてお話ししました。

それと同時に、趣味のまちあるきをしていると「漁師の元気があるところは地域も元気がある」という法則に気がつきました。この仮説を逆転すれば「地域が元気になると水産関係も元気になる」とも捉えることができこの仮説を証明するために水産の勉強を一度ストップ(大学を休学)させて「まちづくり分野」の勉強を始めて、今に至ります。

 

 


座右の銘や大切にしている言葉について

 

 

好きな言葉や心に常に秘めている言葉はたくさんあります。常日頃から、僕はこのようなノートを持ち歩き、会話の中で偶然発見したいい言葉や本から得た名言をまとめたオリジナルノートの作成に励んでいますが、表紙にはいつも同じ文字を書いています。

 

・・・水に濡れ、潮にまみれ、冷たい水や風に身を晒すことだ。
そして、何よりも途方に暮れて迷うことだ。
ウィラード・バスカム著:『海洋の科学』より

 

これは、長崎大学名誉教授(元・長崎大学水産学部長)の中田英昭先生が好きな言葉としてよく紹介されているもので、海洋学者のバスカムが残した言葉です。

 

 

当時大学1年生だった私に中田先生は、この言葉を繋げてくれました。

 

この言葉をよく見てみると、物事がうまくいくための普遍的な事実に気付かされます。

前半の『水に濡れ、潮にまみれ』は、全て自分の眼で見ることが大切で、データや二次情報のみで判断するべきではない。「常に一次情報に始まり、一次情報に終わる」ということを表しています。

そして『冷たい水や風に身を晒すことだ』は、イノベーションを起こすには自ら厳しい環境で努力を積むこと。「恥や失敗を恐れるな」ということを伝えてくれています。

最後の『そして、何よりも途方に暮れて迷うことだ』という一文は、物事がそう簡単に解決するわけがない。言葉通り「途方にくれるまで考えて、悩んで、迷い続けた先に最高の答えがある」ということを表しています。

 

この考え方は、この言葉をいただいてから独自に考えたものになりますので、言葉を受け取る人にとっては他の考え方もあると思います。答えは複数あることは当然ですので、ぜひ自分なりの解釈で言葉を体に刻み込んでください。

 

そしてもう一つ。先生が名言にするほどの言葉を考えた「海洋学者のバスカム」さんはどんな方なんだろうとインターネットで調べてみましたが、全くヒットしません。今の若い方は、インターネットがあることで生活が成り立っています。「世の中にはインターネットでもわからないことがまだまだある」という新しい世界を見せてくれました。言葉にしてみたら当たり前と思うかもしれませんが、インターネットが当たり前になっている人ほど気付かされることだと思います。インターネットは便利な道具だけど、過信してはいけない。ネットの情報は紛れもなく二次情報になりますので、最後は自分の眼で見て判断することが必要だと感じました。

 

 


おわりに

 

 

最後まで記事を読んでいただき、ありがとうございます。

今回の自己紹介はフォーマル(あらたまった)な感じにまとめました。

 

いつかは黒歴史ver.の自己紹介をする機会があるかもしれませんが、その時は過去の僕を笑ていただけると嬉しいです。

それでは、そんな変人こと瓜生信汰朗が紡いでいくこの『ながさきログ』を、これからもよろしくお願いします!

 

 

それでは、また!