【連載】生き方について、考えていること。

 

「生き方」について、日々考えたことを連載していきます。

 


 

志を取り戻すために。(2025年4月29日)

「志(こころざし)」という言葉は、太平洋戦争後、GHQによって日本社会から意図的に消されたといわれています。その代わりに私たちに浸透していったのが「夢」という言葉でした。

たしかに、「夢」は聞いただけでワクワクするような、明るく前向きな響きを持つ言葉です。ですが、それと引き換えに、私たちはもっと深い意味を持った「志」という概念を失ってしまったのかもしれません。

「志」とは、「武士の心」と書きます。そこには、「自分のために生きない」という思想が込められています。かつての侍たちは、なぜあれほどまでに強かったのでしょうか。それは、彼らが自分のためではなく、大切な人や主君、そして大義のために命を懸けて戦っていたからです。

人は、自分のために戦おうとすると、恐れや迷いが生じてしまい、本来の力を発揮できません。しかし、自分の大切な人を守るために戦うとき、驚くほどの力を発揮します。母親が子どものために信じられないような力を出すように、人は「誰かのため」に生きることで、より強くなれるのです。つまり、自分のために生きるよりも、人のために生きるほうが、人ははるかに強くなれるのです。

また、武士道の究極の境地は「戦わない」ことにあるとされています。自分の使命を果たすために、できる限り戦いを避けること。そこには冷静な判断力と、内面の強さが求められます。なぜなら、自分が命を落としてしまっては、本当に守るべき存在を守ることができなくなるからです。

本当に戦ったことがある者ほど、その意味を知っています。「自分が死んだら、誰が主君を守るのか?」という問いに真剣に向き合っていたのです。だからこそ、敵を斬るのではなく、敵と酒を酌み交わす。これこそが、究極の武士道であり、真の強さのあらわれだったのです。

しかし、この「志」という精神は、やがて太平洋戦争の末期において、「天皇陛下万歳」と叫びながら命を投げ打って突撃する特攻隊の思想にまで繋がっていきました。命を懸けるその姿勢は、恐ろしいほどの力を持っていました。だからこそGHQは、「志」という言葉そのものに危機感を抱き、日本人からその精神を奪おうとしたのです。

そしてその代わりに広まっていったのが、「夢」という言葉でした。「夢」とは、個人の幸福や豊かさを追い求めることです。「自分はどうなりたいか」「何をしたいか」「どうすれば成功できるか」といった、自分自身に向けられた問いばかりが重視されるようになりました。そのような社会では、人々はそれぞれが自分のことだけを考えて生きるようになります。それは、占領国にとってはとても扱いやすい社会だったのです。そして現代の日本は、まさにそのような社会になってしまいました。多くの人が、自分のことばかりを考えるようになり、地域や家族、組織といったコミュニティは脆くなり、つながりはどんどん希薄になっています。

本来の「志」とは、人のために生きることです。命をかけるような極限の場面でこそ、「自分が死んではいけない」という考えに至るものです。それは、武士道だけでなく、仏教の教えにも通じています。だからこそ、多くの武士たちは寺を建て、仏を敬い、静かに手を合わせたのです。今の日本人が「自信が持てない」と感じているのは、能力がないからではありません。実は、戦後の日本において、意図的に「自信を持たないように仕向けられた」という背景があるのです。

「なんとなく自信がない」「自分には無理だ」と思い込まされてきた――

けれども、それは真実ではありません。私たちには、本来「志」という強さがありました。その精神をもう一度取り戻すことが、これからの日本にとって、何よりも大切なことなのではないでしょうか。